あの日から、俺の中で何かが壊れてしまった。そう。ミルドラースを倒したあの時、一緒に俺の中で確実に何かが破壊された。明確に分からないその何かは、俺に不安と苛立ちをもたらした。
その日からというもの、街は活気を取り戻し、民衆は明るい表情で街路を闊歩している。子供は暗黒時代を忘れたかのように無邪気な笑顔を振りまいていた。そしてその情景を、俺は城壁の上から冷めた目で眺めるのだった。
「ぼっちゃ・・いや、えにくす王。どうなさいました?顔色がすぐれませんが」
振り向くとそこにはサンチョの姿があった。髪には白いものが混じり、顔には深い皺が刻まれている。親父が王として即位していた頃からそれを補佐していたのだからそれも当然のことだ。
「なあサンチョ、俺はこれでよかったのかな?」
「何をおっしゃいますか。民衆をご覧下さい。みんな王様に感謝しておりますよ」
サンチョはそう言って眼下に広がる城下町に手を広げた。しかしその言葉を聞いても、俺の中にある違和感を払拭することは出来なかった。俺はサンチョのその言葉には答えず、黙って踵を返し階段を下りた。
門番がそびえる城の入り口を通り抜け、城下町へ足を踏み入れる。自国の土地であるにもかかわらず、どこか異国に来たような感覚を覚えて薄ら寒くなった。町の中央まで来たところで、足元に一人の幼子が寄って来た。
「あ、勇者さまだ!」
その言葉にどう反応していいのか分からなかった俺は、ただその場に立ち尽くすしかなかった。ちょっとして、その親と思われる男が慌てて走ってきた。
「こら!だめじゃないか。王様に失礼なことを言って!…申し訳ありませんえにくす王。よく言って聞かせますので…」
その子は泣きそうな顔をしながらその男に手を引かれて家に消えていった。残された俺はしばらく動くことすら出来なかった。
「勇者じゃなくて王様か…」
自嘲気味にそう吐き捨てた。そう。俺は勇者でもなんでもないただの匹夫だ。そしてその勇者様は皮肉にも俺の息子なのだ。
その晩はなかなか寝付けなかった。そんな時にはいつもあの嫌な考えが膨らんでくる。親父は俺を助けるためにモンスター達に焼き殺された。お袋も同じだ。俺のために雷に打たれてその命を絶った。そして俺は10年の余を奴隷として過ごし、その後もモンスターに石にされたりして悲劇の連続だった。今考えるとよくもまあここまで生き長らえたものだと思う。
しかしあいつはどうだ。気付いた時には天空の盾を装備し、勇者であることの証を立てた。俺の後ろに隠れて経験値を稼ぎ、棚ぼた式に天空の剣、兜、鎧を手に入れ、まんまとミルドラースを成敗した。そして人々は奴を勇者と崇めた。まさに至れり尽くせりだ。
いかんいかん、俺は何を考えているんだ。相手は俺の自慢の息子じゃないか。自分の息子に嫉妬する親がどこにいるんだ。情けない。
その時、ベッドの脇に置いてあった袋から一つのアイテムが転がった。月の光を受けて鈍く光るそれはまさしくラーの鏡だった。俺はそれをしまおうと思い、身を起こした。何気なくそれを持ち上げ、覗き込んだ。
!!!!
そこにいたのは、醜い顔をしたモンスターだった。

俺はひどく狼狽し、ラーの鏡を投げ捨てた。鏡は鋭い音を立てて床に転がった。そうか。ようやく分かった。あの違和感の答えはこういうことだったのだ。俺は袋から長らく使っていなかったドラゴンの杖を取り出した。
「何ですか今の音は!?」
サンチョが寝巻き姿のまま階下から駆け上がってきた。ゆっくりと振り返り、問いかける。
「息子は今どこにいる?」
「え?えーっと、今日はサラボナにいるかと…」
「…そうか」
俺はルーラを唱え、サラボナに向かった。きっとルドマンの家にでもいるのだろう。一直線にルドマンの家に足を向け、その扉を開けた。足音を立てないようにして息子を探すと、奴は二階で細かな寝息を立てていた。俺はその穏やかな寝顔に狙いを定め、ドラゴンの杖を振り下ろした。何も装備していない無防備な状態に加え、この不意打ちだ。息子は成す術もなく無様な呻き声を上げた。間髪入れず、2発、3発と叩き込む。やがて息子は動かなくなった。とどめを刺そうかと思ったが、ある考えが浮かび思いとどまった。
再びルーラを唱え、オラクルベリーに向かった。階段を下りて辿り着いたのはモンスターじいさんの所だ。久しぶりの再会に緩んだモンスターじいさんの顔めがけ、ドラゴンの杖を横に振った。じいさんは壁に吹っ飛び、がっくりと腰を落とした。続いてモンスターの閉じ込められている檻を開け、中のモンスターを開放した。モンスター達は何が起こったのか分からない様子で右往左往していた。俺はそれに構わず足早にその場を去った。しばらくすれば奴らも思い出すだろう。魔王が生きていたあの時代を。恐怖を与える側のあの快感を。
最後にルーラで降り立ったのは、かつてミルドラースと死闘を繰り広げたエビルマウンテン。闇に包まれたこの洞窟は俺の今の心情におあつらえ向きだ。中へ中へと足を勧め、ミルドラースがいた場所に辿り着いた。その王座に座り、顔を上げた。なるほど。奴が魔王になったのも頷ける。ここからの見晴らしは最高だ。
やがてここに再び勇者が現れることになるだろう。俺が勝つか、それとも奴に軍配が上がるか。それは誰にも分からないし、大して興味もない。俺はただ、楽しみたいのだ。つまらん余生を送るよりは、こっちのほうが数倍魅力的だ。
さあ、早くやって来い勇者よ。いや、俺を倒してお前は初めて勇者と呼ばれるに値するのだ。俺を倒せないようでは、お前はただの俺の息子だ。くれぐれも俺を失望させてくれるなよ。
長い夜が明けようとしていた。しかし、俺の心の中の闇はまだ明ける様子はなかった。それは俺が死ぬまで続くのだろう。俺自身はそれが早く終わることを望んでいるのだろうか。そればかりはどれだけ考えても分からなかった。